2007年10月20日

忘れない過去

もうこの時期になってしまった。

アレから何年経つのだろう・・・

アレは大学四年生のときだから2001年だ・・・

当時大学のスキー部で主将をやっていた後輩の

花岡征司君が交通事故で帰らぬ人となってしまった。

岡山では有名な鷲羽山という山をバイクで走行中に転倒

下り坂なこともあったが、転がったときに

ヘルメットもフルフェイスの良いやつ被っていたのだが

首をガードレールの柱に強打してしまったという。

119に通報があったのが14時10分過ぎ・・・

救急車では時間がかかるのと状態もよくないため

国内でも数少ないドクターヘリを出動させたほどだった。

医師が到着したときにはもうすでに遅かった・・・

私が顧問から連絡を受けたのは16時過ぎ・・・

運ばれた病院についたのは18時過ぎのことだ・・・。

病院には親戚の方もすぐ着いた。

事実を確認して初めて部員を召集。

みんなが着いたのは20過ぎのことだった。

長野の岡谷市が実家だったので彼の両親も

急いで車を飛ばしたらしい。

22時頃には到着した。

彼とは高校からの付き合いだ!!

飯山南高校に行っていた。

私が2年のときに彼が入学してきた。

最初の1年は寮も同じ部屋で生活したなかだ。

気は少し弱いが筋は1本しっかり通っててやさしいやつだった。

6年間の付き合いしか出来なかった

先輩後輩の関係を気にしないで同等の目線で接し

ともにスキー部の向上に努めてきた。

本当に悔しくて悔しくて仕方が無かった。

次の日に幹部クラスは自宅に向かった。

通夜の時は高校の同級生や合宿に一緒にいった仲間

地元の友達から親戚から多くの方が訪れた。

次の日の葬儀も多くの方が彼とのお別れを惜しみ

葬儀にも出席した。

代表としてお別れの言葉を述べさせて頂きました。

お別れの言葉というはずだったのだが、

別れではなくお礼の言葉を述べさせていただいた。

楽しかった分だけ分かれは辛いものだ。

本当のお別れでもある火葬場では

本当に悔しさを表に出さずに我慢していた私も

彼の姿を目に焼き付けてはいたが、もう見れなくなると考えると

我慢できずに悔し泣きをした。

この年の冬はみんなで彼の思いを胸に大会にも臨んだ

各大会で征司の分まで!!を胸に

部員は国体予選・インカレと全力

インカレは4部ではあるが優勝

国体予選も優勝

私も技術選県予選で優勝

中四国・九州学生スキー大会は

個人で1位〜4位まで独占し優勝

冥土の土産とは言いたくないが最高のプレゼントが出来た

若い人が亡くなるとお坊さんは

これからの人生だというのにと思うでしょうが

これが故人の運命でその運命をきちんと全うしたのだ。

などと言うが・・・

お坊さんに説教をしてしまう叔父の家系に育っている私には

屁理屈にしか聞こえない・・・

親の半分も生きていないし、やり残した事はたくさんあると思う。

21年という時間の中を彼は本当に駆け抜けきれたのだろうか?

ゴールはもっとはるか遠くにあったのではないだろうか?

私たちスキー人は彼の人生はDF(途中棄権)ではないと思いたい。

ただ誰よりも早いタイムでゴールしただけだと・・・

彼を御存知の方は

年に1回、1分でも良いので彼のことを考えてあげてください。

みんなの思う1分が増えていけば彼も報われると思うし

彼の失ってしまっている時も少しは埋まるかもしれませんし

現実的ではないのは分かっていますが・・・

あまりうまく書くことは出来ませんが

この時期になると彼の眠る方向を向いて

黙祷をささげています。

これからも見守っていてください・・・って。

長々と書きましたが

ココまで読んでくださり

ありがとうございます
posted by MASA at 23:34| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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